リヨン(りよん)とは <フランス・地域・旅行>
フランス中東部、リヨネ地方の中心都市で、ローヌ県の県都。
パリ南東462キロメートル、ローヌ川とその支流ソーヌ川との合流点に位置する。
人口44万5452(1999)は、首都パリ、マルセイユに次いで同国第3位。
また周辺に隣接するビルルバンヌVilleurbanneやベニシューVnissieuxなどの諸都市と連接して大都市圏を形成する。
行政諸官庁の所在地であるほか、裁判所、大学や各種専門学校などの高等教育機関も置かれ、軍団管区、大司教も所在し、リヨネ地方の行政、司法、教育、軍事、宗教上の中心地となっている。
また銀行などの金融機関が多く、株式取引所もあり、毎年4月に国際見本市も開かれるなど、商業も活発である。
さらに同国屈指の工業都市で、郊外を中心に機械・金属、自動車、電子工業、石油精製、化学、織物などの諸工業が立地し、とりわけ18世紀に発達した絹織物工業は有名である。
1801年には人口10万余りであったが、19世紀に急増し、第一次世界大戦前には50万近くに達した。
しかし、市域が50平方キロメートルと狭く、大部分が都市化したため人口は停滞した。
逆に、郊外の人口は1914年の15万余りから激増し、とくにローヌ川の東側に市街地が広がった。
リヨンの古代からの繁栄はその地理的位置によるところ大で、ソーヌ、ローヌ両河川の合流部にある比高100メートルのフルビエールの丘は、地中海と北西ヨーロッパとの中継基地の防御地点として役だった。
リヨンの都市圏は、地下鉄の実現と、鉄道、高速道路、航空路、河川交通による各地との連絡の容易さによって発展した。市内には歴史的記念物、建造物が数多く存在する。
野外劇場などローマの遺跡がフルビエールの丘に残り、ガリア・ローマ文明博物館が設置されている。
丘上にはフルビエール・ノートル・ダム寺院(19世紀)がそびえ立つ。丘とソーヌ川との間にある旧リヨン地区の町並みは美しく、ゴシックやルネサンス様式の建物が数多く残り、リヨン歴史博物館、マリオネット博物館、ロマネスクとゴシックのサン・ジャン大聖堂(12~15世紀)などがある。
ソーヌ川とローヌ川の間には、テロー広場周辺にバルトルディの泉、市役所、美術館などがある。
ほかに、ロマネスクのサン・マルタン・デネ・バシリカ、15世紀のサン・ニジェ教会、サン・ボナバンチュール教会、織物歴史博物館、装飾芸術博物館、ギメ美術館などがある。
パリ南東462キロメートル、ローヌ川とその支流ソーヌ川との合流点に位置する。
人口44万5452(1999)は、首都パリ、マルセイユに次いで同国第3位。
また周辺に隣接するビルルバンヌVilleurbanneやベニシューVnissieuxなどの諸都市と連接して大都市圏を形成する。
行政諸官庁の所在地であるほか、裁判所、大学や各種専門学校などの高等教育機関も置かれ、軍団管区、大司教も所在し、リヨネ地方の行政、司法、教育、軍事、宗教上の中心地となっている。
また銀行などの金融機関が多く、株式取引所もあり、毎年4月に国際見本市も開かれるなど、商業も活発である。
さらに同国屈指の工業都市で、郊外を中心に機械・金属、自動車、電子工業、石油精製、化学、織物などの諸工業が立地し、とりわけ18世紀に発達した絹織物工業は有名である。
1801年には人口10万余りであったが、19世紀に急増し、第一次世界大戦前には50万近くに達した。
しかし、市域が50平方キロメートルと狭く、大部分が都市化したため人口は停滞した。
逆に、郊外の人口は1914年の15万余りから激増し、とくにローヌ川の東側に市街地が広がった。
リヨンの古代からの繁栄はその地理的位置によるところ大で、ソーヌ、ローヌ両河川の合流部にある比高100メートルのフルビエールの丘は、地中海と北西ヨーロッパとの中継基地の防御地点として役だった。
リヨンの都市圏は、地下鉄の実現と、鉄道、高速道路、航空路、河川交通による各地との連絡の容易さによって発展した。市内には歴史的記念物、建造物が数多く存在する。
野外劇場などローマの遺跡がフルビエールの丘に残り、ガリア・ローマ文明博物館が設置されている。
丘上にはフルビエール・ノートル・ダム寺院(19世紀)がそびえ立つ。丘とソーヌ川との間にある旧リヨン地区の町並みは美しく、ゴシックやルネサンス様式の建物が数多く残り、リヨン歴史博物館、マリオネット博物館、ロマネスクとゴシックのサン・ジャン大聖堂(12~15世紀)などがある。
ソーヌ川とローヌ川の間には、テロー広場周辺にバルトルディの泉、市役所、美術館などがある。
ほかに、ロマネスクのサン・マルタン・デネ・バシリカ、15世紀のサン・ニジェ教会、サン・ボナバンチュール教会、織物歴史博物館、装飾芸術博物館、ギメ美術館などがある。
update:2009年08月21日
